第1部マルセル・デュシャン没後50年記念
「デュシャン 人と作品」The Essential Duchamp

  1. 画家としてのデュシャンA Painter’s life

    はじめに、1902年から1912年までの間の「画家」としてのデュシャンの事績を追います。この時期デュシャンは、印象主義から象徴主義、そしてフォーヴィスムにいたるまで、さまざまな前衛的な様式に実験的に取り組みました。彼が15歳のときに描いた《ブランヴィルの教会》(1902)から、キュビスムに対する独特な取り組みによりデュシャンの名を広く知らしめることになった《階段を降りる裸体 No. 2》(1912)、その後いわゆる「画家」としての最後の作品《花嫁》(1912)まで、油彩画を中心に彼の幼少期の写真、生家や故郷の風景、家族の肖像写真をともに展示、「画家」デュシャンを紹介します。

    階段を降りる裸体 No. 2

    1912 カンヴァス、油彩
    147 x 89.2 cm

    Philadelphia Museum of Art.The Louise and Walter Arensberg Collection, 1950(c)Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1425

    裸体が階段を降りる動きを表した作品で、1913年発表され大スキャンダルとなりました。

  2. 「芸術」でないような作品をつくることができようかCan Works be Made Which are Not 'Of art'?

    通常の「絵画」制作を止めたデュシャンがその後どのように進んだか、1912年から1917年までの活動をたどります。この時期デュシャンは、伝統的に理解されていた絵画の枠を押し広げ、そこから飛び出しました。彼の最も重要な傑作の一つ、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称《大ガラス》) (1915-23)を構想したのはこの時期です。
    また、いわゆる「レディメイド」と呼ばれる一連の作品の制作をはじめたのもこの時期でした。「レディメイド」は、ある機能をもった物品を本来の日常的な用途から切り離し、「作る」という概念に相対するものとして、「芸術作品」として「意味づける」ことでした。 このセクションでは、フィラデルフィアにある《大ガラス》のオリジナルを写真で紹介するとともに、東京大学駒場博物館所蔵の《大ガラス》複製(東京版)を展示、デュシャンの制作意図と作品の意味を考えます。

    自転車の車輪

    マルセル・デュシャン
    1913/1964 直径64.8、台高59.7
    車輪、塗装された木製スツール

    Philadelphia Museum of Art. Gift of the Galleria Schwarz d’Arte, Milan, 1964(c)Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1425

    デュシャンは、「車輪が回るのを見ていると和やかな気分になる」と語りました。

    マルセル・デュシャン
    1917/1950 30.5 x 38.1 x 45.7
    磁器製男性用小便器

    Philadelphia Museum of Art. 125th Anniversary Acquisition.Gift (by exchange) of Mrs. Herbert Cameron Morris, 1998(c)Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1297

    デュシャンはR.Mutt (リチャード・マット)という偽名を使って男性用小便器にサインをし、芸術作品として展覧会に出品しようとして拒否されました。

  3. ローズ・セラヴィRrose Sélavy

    このセクションでは、1920年代および1930年代のパリ滞在、そして第二次世界大戦中に亡命者として過ごしたニューヨークでのデュシャンを取り上げます。
    1921年、彼は職業を芸術からチェスへ転換しようと言い始め、プロのチェス・プレイヤーであるかのようにチェスに没頭しました。また、1920年代には自らの分身として「ローズ・セラヴィ」と名付けた女性に扮し、この人格のもと、ダジャレや語呂遊びなどの言葉の実験を試み、新たな制作に取り組みました。また、遠近法や視覚に関する長期間の研究の蓄積に基づいた、機械的な仕掛けに取り組んだのもこの時期です。
    一方デュシャンは、ニューヨークでの反芸術活動「ダダ」と活発に交流していました。こうした活動・交流は、「ダダ」の中心人物の一人である写真家マン・レイ(1890 -1976)の協力を得て1926年に制作した前衛的な短編映画『アネミック・シネマ』に結実します。
    1930年代半ば、デュシャンは自分自身の作品を複製というかたちで再考することに興味をもち、《トランクの中の箱》 (1935-41)としても知られる作品のミニチュアからなる携帯用の美術館が生み出されました。
    その後1940年代には、若い芸術家を紹介する展覧会の企画者となり、芸術家としてではなく、企画者あるいはキュレーターという裏方として活躍、有名になりました。いわゆる芸術家としてではなく芸術活動に携わること自体により、芸術あるいは芸術家とは何か、という垣根を打ち破っていくのです。

    《マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による》(トランクの中の箱)

    1935-1941, 1963-1965 (中身); Series F, 1966 edition
    41.3 x 38.4 x 95cm

    Philadelphia Museum of Art: Gift of Anne d’Harnoncourt, 1994(c)Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1425

    過去の自身の作品をミニチュアにして革製トランクに入れたもの。

  4. 『遺作』 欲望の女Our Lady of Desire

    最後のセクションでは、デュシャンが芸術の世界そして広く文化人として伝説的な地位を獲得した最後の20年についてひも解きます。
    《与えられたとせよ 1. 落ちる水 2. 照明用ガス》 (通称《遺作》)は、デュシャンとフィラデルフィア美術館との関係を大変よく示す作品です。デュシャンがフィラデルフィア美術館内の、自身による《大ガラス》が設置してあるすぐ近くの空間に設置することを想定して制作していたもので、彼の最後の作品となりました。彼は20年以上誰にも言わず、秘密でこの作品を部分ごとに制作していました。死後、この作品の制作について記した彼のメモが見つかり、その制作していたすべてのパーツをフィラデルフィアに移送、組み立てたのが、現在同館に常設されている《遺作》です。
    この作品のいくつかのモチーフは《大ガラス》と共通するものであり、彼は《遺作》が常に大ガラスと近くにあることを強く望んでいました。
    本展では、《遺作》を映像で紹介するとともに、制作に至るまでのメモなどの文書類、また《遺作》の一部となったオブジェなど、彼の最後の作品の制作状況を生々しく伝える資料、また各地で行われたデュシャンの展覧会の写真を展示します。

    《遺作》のための扉のわきに立つティニー・デュシャン、ラ・ビスバル・デンポルダまたはその付近にて

    Philadelphia Museum of Art. Gift of Jacqueline, Paul and Peter Matisse in memory of their mother Alexina Duchamp

第2部「デュシャンの向こうに日本がみえる。」Rediscovering Japan through Duchamp

東京国立博物館所蔵の国宝・重要文化財を含む日本美術作品24件で構成、もともと西洋とは異なった社会環境のなかで作られた日本の美術の意味や価値観を浮かび上がらせることにより、日本の美の楽しみ方を新たに提案しようとするものです。
デュシャンは、伝統的な西洋美術の価値観を「破壊」しながら創作活動を行いました。一方日本では、400年前に千利休(1522〜91)が普段の生活のなかで、使われる食器などに「美」を見出しています。デュシャンが行った創作活動の結果新たに生まれた西洋の価値観と、日本の伝統的な美的特質が合致する場面はこのほかにも多々あるのです。
本展は、「デュシャン 人と作品」と隣接する展示室で開催、5つの切り口で日本美術の特徴を紹介します。デュシャンの向こうに見える日本美術の核心を感じ取っていただければ幸いです。
※会期中に展示替えがあります。

  1. 400年前のレディメイドReady-mades from 400 Years Ago

    「竹一重切花入」は、千利休(せんのりきゅう)が天正18年(1590)の小田原攻めに同道し,伊豆韮山(にらやま)の竹をもって作ったといわれた作品をもとに作られたものです。真竹の二節を残し、一重の切れ込みを入れた簡潔な作です。利休は陶工など職人が精巧に作った器や花器ではなく、傍らにあった竹を花入に用いて絶大な価値を持たせました。これは、究極の日常品(レディメイド)です。

    竹一重切花入 銘 園城寺

    伝千利休作
    安土桃山時代・天正18年(1590)
    東京国立博物館蔵
    松平直亮氏寄贈

    黒楽茶碗 銘 むかし咄

    長次郎作 安土桃山時代・16世紀
    東京国立博物館蔵

  2. 日本のリアリズムRealism in Japan

    古来、日本の絵画は、記号化された形象によって事物を表現していました。つまり視覚的なリアリズムが、ほとんど求められていませんでしたが、江戸時代の浮世絵師・写楽は伝統的な絵の描き方を学ばなかったため、女形を演じる役者を男として描くなど、歌舞伎役者を見たままに描こう(リアリズム)として非難されたのでした。

    重要文化財
    三代目大谷鬼次の江戸兵衛

    東洲斎写楽筆
    江戸時代・寛政6年(1794)
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】10月2日〜28日

    重要文化財
    婦人相學十躰・浮気の相

    喜多川歌麿筆
    江戸時代・18世紀
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】10月30日〜11月18日

    四代目
    岩井半四郎の重の井

    東洲斎写楽筆
    江戸時代・寛政6年(1794)
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】11月20日〜12月9日

  3. 日本の時間の進み方The Passage of Time in Japan

    日本の絵巻物は、独自の発展をとげました。特に「異時同図(いじどうず)」という描写方法は、同じ風景や建物のなかに、同一人物が何度も登場して、時間や物語の経過をあらわします。絵巻物をひも解き、開きながら絵を鑑賞することで、絵巻を見る人は、登場人物たちが生き生きと動き出すように感じるのです。絵巻物は、まさにアニメーションの祖先ともいえるでしょう。

    国宝 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 (部分)

    鎌倉時代・13世紀 紙本着色 東京国立博物館蔵 【展示期間】:10月2日〜28日
    赤い着衣の人が何度も描かれ、時間の経過を示しています。

  4. オリジナルとコピーThe Original and the Copy

    「作者が独自に考え抜いて作り上げた、世界に唯一無二の「一点」にこそ、芸術としての価値があるものと考えられています。しかし近世以前の日本では前例に則り、まさに「模倣(コピー)」が当然のように行われていました。
    400年の歴史を誇り、日本の画壇に君臨した狩野(かのう)派の絵師たちは、連綿と描き続けられた手本をもとに多くの絵画を制作していたのです。

    龍図

    俵屋宗達筆
    江戸時代・17世紀
    紙本墨画
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】
    10月30日〜12月9日

    龍図

    狩野探幽筆
    江戸時代・17世紀
    紙本墨画
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】
    10月30日〜12月9日

  5. 書という「芸術」Calligraphy as “Art”

    東洋において書は、造形の最上位に置かれたのですが、日本では絵画や諸工芸とも密接に関わりました。
    能書家の光悦(こうえつ)は、自らの書を俵屋宗達(たわらやそうたつ)など一流の絵師に下絵を描かせ、その上に文字を書しました。その文字の形は、字の示す意味だけでなく、文字そのものの形と配置が美と直結したものでした。

    桜山吹図屛風 

    書:伝本阿弥光悦筆、画:俵屋宗達筆
    江戸時代・17世紀
    紙本着色 6曲1双
    東京国立博物館蔵
    【展示期間】10月2日〜28日

    国宝 舟橋蒔絵硯箱

    本阿弥光悦作
    江戸時代・17世紀
    木製漆塗
    東京国立博物館蔵